Chapter 10

第10章: 指示に従わせる — Instruction TuningとRLHF

2022 年 11 月 30 日。OpenAI が ChatGPT を公開した。 内部的には、ベースは前年の GPT-3.5。新規モデルというより、既存モデルを「指示に従うように」仕込み直しただけ のリリースだ。

ところが、これが世界を変えた。

公開から 5 日で 100 万ユーザー。2 ヶ月で 1 億ユーザー。 人類史上、最速で普及したサービスとなった。 それまで研究者と一部の開発者のものだった LLM が、「自然な日本語で話せば、何でも手伝ってくれる相棒」 として、誰でも使える形になった。

GPT-3.5 と ChatGPT で、何が違ったのか? 答えは モデルの規模ではない「指示に従わせる」ための仕込み ── つまり本章のテーマ、Instruction TuningRLHF だ。

10.1 生の GPT は「便利だが、使いにくい」

前章末で予告した通り、生の GPT-3 は 文の続きを書く達人 だが、人間の指示に従う訓練を受けていない

具体例で見よう。生 GPT-3 に「ペンギンが空を飛べる理由を 3 つ挙げて」と入力したとする。 想像される返答:

「ペンギンが空を飛べる理由を 3 つ挙げて」というのは、子どもの好奇心を刺激する面白いトピックです。実際にはペンギンは空を飛びませんが、もし飛べるとしたら …

機械は 「これは Q&A サイトに投稿された質問の冒頭だな」 と解釈して、その続きを書こうとする。 「ユーザーの指示」 ではなく、「テキストの続き」 として処理してしまう。

これでは使い物にならない ── というほどではないが、プロンプトを工夫しないと指示通り動かない。 プロンプトエンジニアリングは確かに強力だが、普通の人にとっては敷居が高い 道具だ。

生の GPT が抱える問題:

  1. 指示に従わない ── 質問されてもクイズ風に続けてしまう
  2. 不適切な内容を平気で書く ── 学習データに偏った/有害な記述が含まれていれば、それも生成する
  3. 嘘を堂々と書く ── もっともらしい誤情報を、自信たっぷりに生成

これでは「みんなが使える相棒」にはなれない。

10.2 第一の工夫 ── Instruction Tuning(指示追従の微調整)

最初に行う工夫が、Instruction Tuning(インストラクション・チューニング) だ。

発想は素朴:

Instruction Tuning の発想

「指示 → 望ましい応答」の 見本ペア を、人間が大量に作る。 その見本ペアを使って、GPT を 微調整(fine-tuning) する。

例:

  • 入力(指示): 「次の英文を日本語に訳して: I love sushi.」
  • 出力(理想の応答): 「私は寿司が大好きです。」

これを 数千〜数万例 用意し、モデルを「指示と応答」のペア形式に 馴染ませる

第8章の BERT で出てきた「事前学習 + 微調整」とまったく同じ構図だ。 事前学習で言葉一般の知識を入れたモデルを、「指示に従う」という特殊な仕事に合わせて微調整 する。

Instruction Tuning の直接の効果:

ここまで来ると、生の GPT-3 と比べてかなり使いやすくなる。 指示の意図を、応答として正しく実行する ── これが LLM の最初の人格修正だ。

補足

Instruction Tuning は、各社のモデルで形が違う。OpenAI の InstructGPT、Google の FLAN、Anthropic の Helpful, Honest, Harmless データセットなど。共通項は「質の高い指示・応答ペアでモデルを微調整する」点。

10.3 でも、それだけだと「微妙な好み」を扱えない

Instruction Tuning で「指示に従う」モデルはできる。 しかし、これだけでは詰めきれないことがある。

たとえば、同じ「カレーの作り方を教えて」という指示に対し、3 通りの応答を作るとする:

応答案特徴
A簡潔に手順を 5 つ箇条書き
B詳しく材料・工程・コツまで説明、約 500 文字
C一般論で「お好きなレシピで作ってください」と曖昧に答える

どれが 「指示に従っている」 かは曖昧で、3 つとも 100% 間違いではない。 だがユーザー視点では明らかに B > A > C の順で好ましい。

人間の好みは、「正解 / 不正解」の二値ではなく、微妙な程度問題 で決まる。 Instruction Tuning(教師あり学習)では、この 「より良いほうを学ばせる」 という指示が伝わりにくい。

そこで出てくるのが、第二の工夫 ── RLHF だ。

10.4 第二の工夫 ── RLHF(人間の好みからの強化学習)

RLHF (Reinforcement Learning from Human Feedback) = 人間のフィードバックを使った強化学習。 名前は仰々しいが、考え方はシンプルだ。

強化学習 (Reinforcement Learning)

機械学習の一手法。「正解の答えを直接教える」のではなく、「行動の結果に対して報酬(点数)を与え、報酬が高くなる方向にモデルを動かす」やり方。 ゲーム AI(将棋・囲碁の AlphaGo など)で有名だが、ここでは「LLM の応答にスコアを付け、スコアが高くなる方向にパラメータを調整する」道具として使われる。

RLHF の発想

  1. モデルに同じ質問を投げて、複数の応答を生成 させる
  2. 人間(評価者)に 「どちらが良いか」を選んでもらう
  3. その「人間の好み」を予測するモデル(報酬モデル)を別途学習する
  4. 元の LLM が 「報酬モデルが高得点をつけるような応答」を出すように さらに調整する

つまり、「人間が好む応答を作るモデル」に育てるための、二段構えの仕掛け。

具体的なプロセスを 1 ステップずつ:

Step 1: 応答ペアを集める

同じプロンプトに対し、Instruction Tuning 済みモデルに 複数の応答を生成 させる。 人間の評価者が「どちらが良いか」をクリックしていく。 こうして (プロンプト, 応答 A, 応答 B, A が良い) という形のデータが、数万件規模で集まる。

Step 2: 報酬モデルを訓練する

人間の選好を学んだ 「採点係」のモデル(報酬モデル) を別途作る。 このモデルは、「ある応答が人間にどれだけ好まれそうか」を 数値スコア として出す。

Step 3: 元のモデルを、報酬モデルで磨く

元の LLM に応答を生成させ、報酬モデルでスコアを付ける。 スコアが高くなる方向に、LLM のパラメータを 強化学習 で調整していく。

これを繰り返すと、LLM は 「人間の好む応答を、確率的に多く生成する」 モデルに育つ。

ここで一つ大事なメタファー:
Instruction Tuning は「お手本を見せて真似させる」(教師あり学習)。
RLHF は「選好を測って磨かせる」(強化学習)。

前者は「正解を教える」、後者は「好みのほうに引っ張る」。 両者を組み合わせると、LLM は「ちゃんと指示に従い、しかも人間が好む形で応答する」相棒に化ける。

10.5 RLHF が変えたもの

RLHF を経たモデル(ChatGPT、Claude、Gemini など)は、生の GPT-3 と比べて目に見えて違う:

観点生 GPT-3RLHF 後の ChatGPT
指示への追従弱い強い
応答の構造続き書き的質問に直接答える
不適切内容の回避しない拒否する場合がある
「分からない」への態度自信満々に嘘を書く「分かりません」と言える(理想)
文体の整いバラつき一貫して丁寧

特に重要なのは、「LLM が、人間社会で使われるための作法を身につけた」 という点だ。

これらは Instruction Tuning だけでは身につきにくく、RLHF の「人間の好みを大規模に取り込む」 プロセスが効いている。

10.6 「Helpful, Honest, Harmless」── LLM の三原則

RLHF の評価でよく出てくるスローガンが、Anthropic が提唱した HHH 原則 だ:

H意味
Helpful役に立つ。質問の意図に沿って、実用的な応答を返す
Honest誠実。嘘や誤情報を避け、不確かなら「分からない」と言う
Harmless無害。差別、暴力、危険行為を助長する応答を避ける

これらは互いに 緊張関係 にある:

RLHF は、この 緊張関係を、人間の好みを通じてバランスさせる 工程でもある。 モデル開発者は、評価データの設計を通じて、自社のモデルの「人格 」をチューニングする。

ChatGPT、Claude、Gemini が、それぞれ少し違う 「キャラ」 を持つように感じるのは、気のせいではない。 各社が RLHF の評価データを設計する際の 方針の違い(何を good とするか)が、モデルの口調や態度に反映されている。

LLM は単に大量のテキストを学んだ統計機械ではなく、「人間の好みでチューニングされた、企業ごとに少し違う人格」 として完成する。

10.7 GPT-3 → ChatGPT のジャンプの正体

ここで本章の核となる問いに戻る:「GPT-3 から ChatGPT への一段ジャンプの正体は何か?

答えはこう:

GPT-3 → ChatGPT で起きたのは、モデルの中身(学習目標、アーキテクチャ、規模)の革新 ではない。 「人間の指示に従い、人間の好みで応答する」ための後処理工程の革新 だった。

具体的には:

  1. Instruction Tuning で「指示に従う」を植え付け
  2. RLHF で「人間の好み」に合わせて磨く

これだけで、「便利だが扱いにくい続き書き機」が、「誰でも使える対話相手」に化けた。

この発見は、LLM 業界の競争軸を変えた

以前: 「もっと大きく、もっと賢く」
今: 「もっと安全に、もっと指示に従って、もっと人間に好まれる形で」

スケールアップ競争に並行して、RLHF と関連手法の研究競争 が、各社の最重要トピックになった。

10.8 RLHF の限界と発展

RLHF は革命的だったが、限界もある:

限界①: 「人間の好み」が偏る可能性

評価者の構成(多くが英語話者、特定の文化圏)によって、モデルの応答が その文化のバイアス を帯びる。 RLHF は「人間の好み」を増幅するが、その人間が誰かによって、モデルの人格が変わる。

限界②: 「分かったふり」を学ぶ恐れ

人間は「自信たっぷりに答える応答」を好む傾向がある。 これに引きずられると、LLM は 「分からないこと」を正直に言わず、もっともらしく嘘を書く ように育つ可能性がある。 これが第13章で扱う ハルシネーション の温床にもなる。

限界③: コストとスケール

人間の評価者を大量に雇うのは高くつく。 そこで近年は、AI 自身に評価させる 手法も発展している:

これらの手法は、本書執筆現在も活発に進化中だ。

10.9 「大規模言語モデル」編、ここまでの整理

第8〜10章で、「大規模言語モデル」グループを走り切った。

[大規模言語モデル]
 第8章: BERT ──「読む」専門家。穴埋め予測で事前学習
 第9章: GPT ──「書く」専門家。次トークン予測で事前学習
 第10章: Instruction Tuning + RLHF ── 指示に従い、人間に好まれる人格を仕込む ← イマココ

ここまでで、ChatGPT の内部構造 はほぼ全部分かったと言っていい。 次のグループ「応用と評価」では、この LLM を 実世界でどう使い、何を信じるか に話が移る。

10.10 この章の振り返り

次章からは「応用と評価」の世界へ。 まずは LLM の「知らないことは知らない」という弱点を 外部知識で補う 仕掛け、RAG の話だ。